センター対策の名を冠したアレ

dokkoihetare2005-01-14

ていうか、俺も暇ではないのである。

どうもこんばんは。すげえのっぴきならない状況に追い込まれ気味なJTです。
フォントを変える余裕なぞこれっぽっちもありゃしません。
それなのに今俺は過去最長になるであろうテーマに挑もうとしております。
なんというか、コレはもう馬鹿とかそういうレヴェルじゃないです。
明日の英会話のテストだけはなんとかせねばならんのです。
つーか普通に考えて、センター日本史対策blogってありえねぇだろ、というか、1週間前に構想練り始めてどうする俺。あと疾風。
しかも書き始めたのは今。今っていうのは13日(木)の18時過ぎ。ええい、いっそこのまま「冒険王ビィト」でも見てしまおうかしら。
そういやさっきプラネテスを見た。感動した。
どうするどうなるタナベ。
あとさっき2月にやる合唱団の合宿の人数変更を合宿先に電話したら機会音声で「15時までで本日の受付は終了しております」と云われた。ええい。
最初の数秒間、機会音声に丁寧語を使って喋ってしまった自分に腹が立つ。

てことで日本史講座である。
俺にセンターの日本史を教えさせるなどと馬鹿以外の何者でもないと思うのだが。センターというよりもアレな日本史になるに決まっておる。まあいいけどさ。つーかセンターの範囲なぞ受験生の時ですら把握しておらなんだわ。いい機会だからダラダラ書いてみた、って程度に受け取ってもらえると嬉しいですハイ。

「とある哲学者はこう言いました。全ての歴史は現代史である、と。
この意味は、21世紀現代の国際紛争などの問題は全て数千年前から続く戦いの延長
であるという意味です。
ですがここで終わってはいけません。歴史の学ぶ意味は極論から言えば

祖国防衛

の一言に尽きます。どこからも攻められない。
どこにも攻めなくても飢えず、豊かで平和な暮らしが約束されれば歴史など学ぶ必要
はないのです。
ですが、現実問題として21世紀現在でも戦争は起きていますし、日本が安全だと
いってもそれはたまたま紛争地帯と距離が離れているだけであって、今この記事を読
んでいる瞬間にも確実に戦死している人間はいるのです
歴史を知っていれば相手が何を考えているか完全ではありませんが、大体わかるよう
になるものです。
例えば「連中は少し前にこんなことやった!だからまたやるかもしれない」といった
ようなことが予想できますね。」(某ページよりコピペ。まあ、そういうことである)

ああ、ちなみに、高校の頃使ってた教科書やテキストは今手元に無いので、本棚を漁って出てきた「新しい歴史教科書」を資料にしてやってきます。
まあ賛否両論あるかもしれないが、何を使おうと結局俺の知識と妄想が大爆発することに変わりは無いのであるからしてさしたる問題はありますまい。
ああ、文化史は正直さっぱりわかんねえので、最小限に留めます。

さて、まずは先史時代。
ま、今更旧石器時代とか新石器時代とかの区別なんてやっても仕方ないので簡単に。
えーとね、まず、縄文土器は世界最古の土器です。今んトコ。ここは譲りませんよ僕は。
あと、弥生時代縄文時代の違いは、弥生時代のほうがとにかくスゲエ、と覚えましょう。センターはそれで充分。
三内丸山遺跡荒神谷遺跡と吉野ヶ里遺跡の区別くらいはつくようにしておきましょう。

で、支那(一発変換できず。携帯では出来たのに。何故)の史書にしか記述のない時代。センターに限るととたんにつまんねぇカンジになるので簡単に。
奴国が金印をもらう。まあ、当時は後漢もいっぱいいっぱいだったので、近隣諸国を手なづけるためにとった非常の策でしょう。多分。そうでもなきゃあんな辺境の地に王の位を授けるはずがないだろうし。多分。王、という位を他人に与えるだけの権力をもってるんだぞ俺は、と主張することによって己の力を水増しして見せた、と。そう考えるのが自然だと思います。特に北方騎馬民族とかに対して。ですがまあ、センターにこんなのは必要ないので切り捨てて行くべし。
で、邪馬台国。ひめみこ様。転じて卑弥呼様。AV女優ではない。だから北九州だって何度言えばわかるんだお前。箸墓古墳?黙れ。あと鬼道すげえ。鬼道。弟が政治を代行してた。弟すげえ。俺としてはこのひめみこが後に天照大神のモチーフになったと信じて疑わないわけですよ。で、この弟はスサノオ。ということはスサノオフチコマの皮をはいで機織小屋に投げ込んで機織のおねえさんを一人ショック死させてしまったのだろうきっと(古事記)。悪い奴だ。弟。皆も弟には気をつけるのだぞ。弟は、怖い。
以上、先史時代。俺にとっては神も天皇も出てこない日本史なぞ全て先史時代である。天孫降臨(地酒の名前ではないぞ)とか神武東征とか燃えるんだけどなあ。
で、以下、「歴史」。

さて、日本史を語る上で避けては通れないモノは色々あるが、まず始めに挙げるべきは天皇。次いで、仏教が挙げられる。
まあ、この二つのキーワードを中心に据えて考えられるべきものということである。
簡単に云えば、人々の信仰だの崇拝だのの対象が天皇(≒神道)であるか仏教であるか、ということで時代の区分をすればわかりよいのである。

つまり、大きな分岐点は以下の3つ。
1、大化改新
2、建武新政
3、明治維新
いずれも日本国が対外的な危機にさらされて、天皇が実権を回復した事件である。

日本国建国の話はセンターの範囲には含まれていないので省くことにして、初代天皇(これも神武ではなく、崇神(伝・10代目)くらいとする)あたりからのことを考えていくことにする。
まあ、最初は当然天皇が長であり崇拝の対象である。帝政といってもいいかもしれん。まあ、一部の暴君(武烈とかの日本書紀にも暴君と明言されている天皇達。まあ、どんな国にもネロは存在しうるのである)時代を除けば上手くいっていたようなので、ある意味最高の状態であったということだな。いわゆる「いい帝政」である。
仁徳帝(伝・15代目)あたりはかなりの善政を敷いたようで、謚にその業績の凄さがよく語られている。大山(大仙)古墳はこの方の墓。底辺部の直径はピラミッド(クフ王)や始皇帝墳墓よりもでけえらしい。すげえ。
倭の5王。5世紀。5人目の武は雄略(伝・19代目)。ワカタケル。それ以上は覚えなくてもよろしい。

あと、非常に遺憾ながら頭に入れざるを得ないのが、あの半島である。3韓時代を経て、4国鼎立(?)時代となっていた。まあ、世の中に誕生した鼎立の中に崩れなかったものはないのであって、当然これも例外ではない。まず高句麗が隋の楽浪郡を一蹴。新羅任那を一蹴。任那日本府なるものを置いていた日本ブチ切れ。以下略。まあ

好太王碑文でも読んでおけ。

渡来人が5世紀ごろやってきたことは是非抑えておきたい。特に秦氏。1万人以上の大氏族。特に須恵器の持ち込み。土師器との区別を。あと儒教だの漢字文化の侵略であるな。鉄の輸入が大規模化したのもこのへん。武器とか農具とかの作り方が入ってきたからね。白村江で半島の権益を完全に失った日本は、武蔵国で鉄が出(日本書紀)なければ完全に立ち消えであったろう。多分。

あー、あと、氏姓制度。適当にぐぐれ。
要するに天皇から賜ったのが姓。

仏教伝来。聖明王。えらく偉い王だったようで、日本書紀はえらくだらだらとその凄さが書かれてます。時々でいいから思い出してあげてください。
ていうか俺の日本書紀が見当たらない。城きつね君に貸しているのだったか?多分そうだ、多分。まあ、ゆっくり読んでください。だから早くローマ人の物語を。ハリー!ハリーハリー!(私信)

百済はいいぞ、百済は。日本人とは血筋的に兄弟だしな。新羅はまったくの別モノ。高句麗はギリで血族。ちなみに確か今の半島王朝は新羅系。
とっとと絶えてしまえ。

聖徳太子。この人については小学生並の知識で充分センター乗り切れると思いますので、受験生諸君は今更じたばたせずに素直にギャグ漫画日和でも読んでおきましょう。日本史上初めて支那国家にケンカ売った人です。外交も内政も出来ちゃうスーパー皇族。
17条憲法は覚えておこう。
ちなみにこの17という数字はこの後神格化される。例えば、後に出てくる御成敗式目は51条、すなわち17の倍数である。まあ、最初になにごとかを為す、ってのはすごいことなんです。曹操もそう云ってます。って蒼天航路に書いてありました。
唯才。
冠位12階もそんな感じです。貴賎は問いません、と。いやまあ流石に曹操と同じように罪人まで登用してたかどうかは知りませんけど。
このあたりから仏教の力が増してきます。
あと、隋がたったの2代で滅びます。唐が出てきます。支那統一後の王朝としては2番目に長持ちします。ちなみに1位は清です。腐っても清。ホントに腐ってましたが。はッ(唾棄)。
大化の改新。前書いたので省略。
ていうか改新の詔が出たのは646年の1月1日です。645年じゃねえので気をつけろ。私年号を除けば初の日本国の年号となる「大化」を立て、天皇を中心とした近代国家として日本は生まれ変わったのである。

まあ、蘇我氏に任せておけばもっとうまくいってたことうけあいだが。
20そこそこの餓鬼(中大兄皇子)なんぞにどうこうできるほど甘い状況じゃあない、ということを日本国(そういえばこの段階ではまだ倭だが)はこの後20年もたたないうちに思い知ることになる。

で、このとき、日本は百済からその王子・余豊ショウ(漢字が出ない。ちなみに百済王家の姓は「余」または「扶余」。扶余ってのはすっげえ昔に半島に居た、日本人や百済人、ひいては高句麗人の祖先の民族の名称。新羅?何それ?)を同盟の人質として預かっていた。
そんな中、660年、百済がいきなり新羅・唐連合軍に首都を落とされ、国王以下王族全員が唐へと送られる。
重臣の鬼室福信が日本に使いを送り、豊ショウをたてて再起をはかりたい、というので了承。中大兄皇子は反対する家臣たちをおさえ、その頼みを了承。半島の争いに首を突っ込むことになった。まあ、百済がとられれば、半島は新羅・唐による日本侵略の橋頭堡になってしまうことうけあいであったわけであるからして、ある意味では正しかったのだろう。
蘇我入鹿が生きていればそんな事態になる前に手を打っていたのだろうがな。

で、豊ショウ。福信と合流。名に聞こえた豪将と、正統な血筋によってたてられた政治的な意味での国王(亡国だけど)。兵達のやる気倍率ドン。さらに倍。

どんどんセンターの内容からずれていっている気もするが気にしない。
んなこた書く前からわかっていたことである。

が、実はこの豊ショウ、底抜けのバカであった。
日本にいた頃にやったこととして日本書紀に記録されているのは、養蜂をやろうとして失敗した、ということだけである。マジで。
半島に帰ってからも、なんだかんだと言って無理矢理本拠地を変更。日本から彼を連れてきた秦田久津は自分の意見を無下に却下され腹を立てるも、そこは日本人(っても渡来人だが)の美徳でもって耐える。頑張れ秦。
そして、決定打。福信を粛清。理由は不明。軍にとっての精神的支柱2つのうち1つが、内側からの圧力で消されたのである。そして残ったもう1つがこのバカである。兵達の不安いかばかりか。
さらにさらに。日本からの援軍が来たので、という理由で、港まで迎えに行くと言い出す。いや、平時ならそれもいい。だが、本拠地に敵が迫っているとなれば話は別である。いっちゃん偉い将軍がいなくなってるのに最高司令官が同盟軍のお出迎えである。有事の真っ只中で。
そして、時は663年、世に言う白村江の戦いが起きる。阿曇比羅夫(阿部比羅夫とは別人。阿部はこのとき蝦夷征伐で忙しかった)ら率いる日本軍はお粗末な戦術でもって見事に敗北。船の燃える炎で天と海は真っ赤に焼けたという。ここに百済は滅亡。
この戦争において様子を見ていた高句麗もわずか7年後の670年に唐によって滅亡。
でも日本はその頃古代最大の内乱、壬申の乱(672)でおおわらわ。明治維新で云えば戊辰戦争西南戦争くらいの意味をもつ戦である。すなわち、「今外国の勢力が来たらすっげえやばいけど内ゲバ。やらねばならんのです。男という生き物は意地と我慢で出来てるんです」的戦争。こういうことは歴史全体として結構起こっていることだが、対外勢力が間抜けなせいか、意外になんとかなることが多い。天智の弟(天武帝)と天智の子(弘文。即位はしていないが、明治になってから天皇と認められた)が骨肉の争いを繰り広げる。ちなみに天武のヨメ(持統)は天智の娘。すなわち天武は姪と結婚したのである。すげえよ古代。古代すげえよ。

で、このへんから律令国家建設がはじまる。さらなる近代化。まず大王(おおきみ)と呼ばれていた君主の称号を「天皇」に変更。明らかに支那の皇帝に対抗するものである。王から帝へ。李氏朝鮮が1897年に大韓帝国と改称したのと似たようなものである。また、「日本」という国号を確立。どちらも正確な時期は不明。同時期に出され、内容が明らかになっていない近江令が関係していると考えるのは俺だけではあるまい。まあ、妄想だが。

で、701年、大宝律令
710年、平城京。84年に渡る悪夢のような奈良時代開始。
藤原氏大活躍。めんどいので中略。あと東洋のラスプーチンこと道鏡。名字は弓削(ゆげ)。物部氏に関係がありそうな感じ。だからどうということもないが。

奈良の頃の文化。天平
日本語(かな)確立。古事記日本書紀成立。風土記作成命令。まあ、地理的・文化的な情報を国家が管理しようなどと考えるのは当時の人にとってはまさに青天の霹靂だったようで、10世紀になっても「早よ提出せぇ」という催促がされたという記録が残ってはいる。万葉集成立。あとあれだ、大仏。開眼供養はインド人僧侶。あと、西アジアのほうとも交流が大分あったらしい。キリスト教とかゾロアスター教とかがこの時代に伝来している可能性も零ではない、ということである。東ローマ帝国が大繁盛しておる時期だし。そういえば17条憲法もなんとなくキリスト教くさい。そう考えると妄想の地平はどこまでも続く坂道となるのである。深遠なるかな。俺。

平安。泣くようぐいす
律令制が大繁盛。平安京。今でも正式には首都。東京には首都権を貸しているだけです。いや、マジで。ウソだと思ったら「奠都」でぐぐれ。
坂上田村麻呂。奥さん思い。アテルイ率いる蝦夷を撃破。東北制覇。
摂関政治。班田収受。荘園。遣唐使廃止。武士。院政。源平。
あと唐滅亡。
源平時代の流れは大体以下のとおり。
935〜941、承平・天慶の乱。すなわち平将門の乱藤原純友の乱
前者は日本国から関東を独立させ、将門が帝となろうとした乱。
後者は瀬戸内海の海賊を掌握した地方官の純友が、将門と呼応して大和朝廷にケンカ売った乱。こいつは半島や大陸にも目を向けていたらしい。コイツが朝廷の高官になっていたら歴史はまた一味変わったものになっていたかもしれない。
1028〜1031、平忠常の乱。
1051〜62、1083〜87、前九年・後三年の乱。どこからどこまでが9年で3年なのかイマイチわかりかねる乱。この乱の結果、奥州藤原氏始まる。清原氏が滅びる。源氏が頑張る。
1156、保元の乱天皇家vs摂関家。源平も相争った。
1159、平治の乱保元の乱勝利者の一人である源義朝(頼朝のダディ)が同じく勝利者平清盛を打倒せんと立ち上がるも一日にして敗北。
1177、鹿が谷の陰謀。平家打倒を謀議するもあっさり発覚。
1180、以仁王の乱。平家追討の令旨を全国の源氏に発する。挙兵自体は秒殺される。
その後、1185年の壇ノ浦まではドラマを見よう。奥州・鎌倉・京で三国志である。源義仲が闖入してきて京を奪い取ったりするがまあ一時のことである。気にするな。
どうでもいいが、俺は平氏擁護派である。よって、今後の大河ドラマレビューはその方向で進んでいくこと請け合いである。あしからず。つーか義経があまり好きではないのである。いや、滝沢某がどうとかいう問題ではなく。
受験生諸君は後白河法皇について適当にぐぐっておくと良い。後白河天皇であったころあたりから。それだけで平安後期はばっちりです。「日本一の大天狗(源頼朝談)」である。つーか活躍しすぎ。
で、1192年。鎌倉幕府成立。このあたりでもう既に天皇の権力はどこへやらである。
守護。地頭。封建制。執権政治。御成敗式目承久の乱宝治合戦霜月騒動
そして、蒙古襲来。

何も使者を斬ることないんじゃないかなあと思いますぜ、時宗さん。
竹崎季長なんて覚えさせてるセンター試験は正直バカだと思います。
で、徳政令。意味なし。

この頃、両統迭立の動きが始まる。南北朝時代の予感。
後醍醐天皇により鎌倉幕府打倒運動開始。正中の変。元弘の変。楠木正成挙兵。いずれも失敗。天皇隠岐に配流。
鎌倉幕府光厳天皇をたてる。この時点で後醍醐天皇天皇の位を辞してはいない。
そして隠岐からの大脱出。足利尊氏新田義貞ら挙兵。最後の執権北条高時自決。息子の時行は逃亡。時に1333年、日本初の武家政権鎌倉幕府滅亡。

で、翌1334年。権力を回復した後醍醐天皇が始めたのが、前述の2度目の天皇権力回復イベント、建武中興である。
1335年、時行による中先代の乱が起きる。同年、足利尊氏叛乱。
1336年、尊氏、光明天皇を擁立。60年近くにわたり天皇が二人ずつありつづけるという日本史上最も特異なる時代、南北朝開始。
北畠親房がこの時代に神皇正統記を書いた。ちなみに俺んちにあるので読みたい奴は云え。
1351年、観応の擾乱。史上最大の兄弟喧嘩だ。兄の勝ち。兄より優れた弟など存在しねぇとジャギ様も云っておる。
1392年、南北朝合一。
応永の乱。大内さん死亡。
嘉吉の乱。赤松こえー。
応仁の乱。ザ・戦。京都が大変なことに。さあ、戦国時代の幕開けだ。

戦国時代はいろいろありすぎてウザいので省略。
各国の法度でも覚えておくといいですっていうかまあもう覚えてるとは思うが。
結局のところ要するに、
はスゲえ、ってことでFA。

今日はこのへんで。ちと疲れた。