はいはいPです。お久しぶりです。

う〜んと、すでに閉鎖状態となりつつあるどっこいへタレ、まぁオレもその原因ではある訳だが。
よって今日はスッゴイ久しぶりに書きまする。ダレも書かないからオレ趣味爆で。



よ〜〜〜やくこの時が来ました!そう、前作の大コケからもう新作はでないのかと思ってたあのゲーム、ついにやってくれました。
そう、ギルティギアの新作のロケテが開催されてました!(まぁオレは行かなかったけどな。てか知ったときにはすでに終了してたり)


 キタ*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*(゜∀゜):*・゜゜・*:.。.


その名もGUILTY GERE XX #Reroad SLASH (長い・・・・)
ん?んん?そうなんです。これはXXの調整版赤リロの再調整版青リロの調整版となる訳です。(なんのこっちゃ)
結局ストーリーは進展なし、サボってますね。


まぁコレだけだとなんかクソゲーっぽく聞こえますけど、イスカの新キャラABAが使えたり、新技追加、キャラ性能の大幅改定と結構目新しいこといっぱいです。


特に前作最強を誇ったエディやそれに次ぐスレイヤー、ジャム、あとはミリアやソルといったところが大幅に弱体化したっぽい。
まぁそんなことはどうでもいい。アンジだ、アンジが強くなれば問題ない!


でまぁ情報を集めるとですな、アンジの変更点(その他のキャラは良く知らん!ただループ技はホトンドできなくなってるっぽい)はかなりある。


・疾が飛び道具に当たっても跳ねる!跳ねが中段じゃなくなったが2ヒット!
中段じゃなくなったから中下段ほぼ同時攻撃はできんくなったけど、二択で相当固めることができそう。
ただ青キャンは今のところ確認されてないっぽい。マジで欲しいんですけど。


・陰の吹っ飛びがより遠くに
陰→彩ができんくなったのが痛い。
あと上級者はキャラ限のノーゲージループができんくなったのが痛そう。(素人のオレにゃぁ関係ないけど)


・彩の硬直大幅アップ
痛すぎ。ガード後反撃確定。ぶっぱなし彩ができなくなったし。しかも彩→陰ができないって彩使う意味ないじゃん?青キャンマスターしろってか?


・3Pで中段攻撃追加
まぁ生で使うことは無いんだが、疾の性能変化に伴い、二択に活躍しそう。しかもヒット後相手が浮く。ただしキャンセル不可。でもJキャンセルできるから、空キャンから陰にいけるっぽい。神。


・K戒地上ノーマルヒットでもバウンド
まぁこれも単発で使うことなさそうだけど、HS先端からガード方向惑わしたり、疾攻め時のリターンが大幅アップってとこかな。


・針一式が1ヒットで壁バウンドに
多分カウンターしたら拾える。つまりリバサ読み起き攻めや飛び込みのリターンアップ。


・JDに青キャン
ループできるのか?できないらしいが。
前HSジャンプキャンセルJD青キャンで、ガードされても着地投げ、JS、着地下段の三択、ヒットすれば陰まで可能かな?


・風神がヒットしなくても派生可能
つまりぶっ放しHS風神がリスク減でできるのか?あまり意味なさそうな・・・。


・これが最重要。風神に新派生、臨追加
どうやら激強らしい。リーチそこそこ、ヒット時壁バウンド、ガードされても有利、さらにガードポイントつきときた。神。
つまり、キャンセルS風神から基本臨で、跳び、ディレイ凪刃、止め投げと固める手段ができ、さらに選択から崩しがし易くなったってこと。アンジに足りなかったものがやっと・・・(涙)
彩の弱体化からダメージ源はこの臨ロマキャンが主体になりそう。


花鳥風月がガードキャンセルから出せるって噂もあるけどね、そうなりゃアンジ最強も夢じゃないね。
まぁアンジに増してアクセル、ディズィー、ジョニーの強化が激しいっぽいが。特にアクセルはヤバイっぽい。


けど結局リーチ、振りの大きさ、機動力に変化が無いから立ち回り性能の低さは相変わらずみたいだから、いや、それでも中堅キャラ以上には!


あるサイトの人が言ってたんだけどね、「アンジはロケテは鬼強、正式稼動時は必ず最弱」・゜・(ノД`)・゜・。
そんなアンジでもオレは使い続けるさ!



最近はゲーセン行ってないしな〜、メルブラとかいう同人ゲーに興味ないし、でもまたゲーセンに行く日々がきそうな予感。

Cozyです。

ネットを巡回中、おそろしいものを見つけてしまった。
ていうか気が付いてしまった。


JTかこぱっちょぐらいにしかわかりませんが、さらしるさんのとこの過去ログを読んでいました。


ここで書かれている実写版セーラームーンの衣装制作のドルドルドラニ。さらしる先生はベンガル語だと書いていますが、こんな特徴的な名前忘れませんとも。




だって歌謡ショウの衣装制作さんですから。
サクラ大戦の歌謡ショウの衣装は貸し衣装は東京衣装さん。オリジナルはドルドルドラニの方です。これ事実。

はい、JTぐらいしか笑えません。いいです。何となく書いてるだけですから。





ああ、轟華絢爛な一日を書かねば…。最近コメントくれないなぁ…。

明日は紀元節とか言ったやつ、正座!!

まさかあれが無くなる日が来るなんて、あの頃誰も思っていなかった。
当然僕も。
みんなは覚えているだろうか?あれが無くなると言われた時に体を駆け抜けたの言いようの無い激震を。


時は199X年、人類は、 


核 の 炎 に 包 ま れ (てないから。)



実際に僕たちの目の前から「あれ」が消え、僕らは常に物足りなさを感じていた。決して他では補えるものでは無く、
人々は「あれ」の偉大さに感服し、また「あれ」の無くなった世界に失望していた。
あれから1年。
僕たちを虜にした「あれ」が明日、一日だけ復活する。

…。



金ちゃんヌードル新登場。




…。




うそ。



吉野家の牛丼、一日だけ復活!!




ってな訳で、ヒトキお兄さんですよ皆様。ご機嫌麗しゅう。ちなみに私は、明日は栄の吉野家に10時から並ぶ予定です。遅いかな??(※牛丼は午前11時より販売。なくなり次第終了。用意してある量は不明。)僕の予想では、明日の日本中の吉野家、全1006店舗では大混乱ですよ!!

きっと、またいろんな事件が起こるんだろなぁ…。


無くなってから店に馬鹿が来て、牛丼出せって暴れたり。


だから数量限定だって。ほんとに無いのに。


通ぶって特盛頼んで、ありませんって店員に切り返されてぶち切れたり。


もったいないから、並と大盛のみだっつーの。


大盛肉抜きとか頼んじゃったり。


…。それ、すごいな。


どーだcozy、レジェンド作ってみないか??

店入って「小ライス1つ。」で。

ヒ ー ロ ー に な り た く な い か い ? ?

センター対策の名を冠したアレ?

バルジの戦い(参照 http://members2.jcom.home.ne.jp/invasion/Wacht%20am%20Rhein.html)60周年記念サドンストライク・マルチ対戦をやろうとした矢先に故障したパソコンが修理から復帰した。
今度こそ長持ちするようにと、愛機「孤城」と命名し、ひとまず、仕切りなおしのサドンストライクでFKを蹴散らす。
「孤城」は最近改名した我がHN城きつねを漢字化→逆転→偏変換させたものだ。本当は弧城でも良いかと思ったのだが、
「弧」というと「不安定の弧」が思い出されて、まるで米軍の軍事拠点か何かな雰囲気になるので、やめた。

さて、その復活した愛機で新生へたれ執筆を開始しようとした矢先、メッセででJTから

「日本史の近世以降を書け」

と言われた。JTと言えばつまり私にとっては氏神の神社の神主見習いと同様の立場にある男であり、その言葉はさすがに無碍に出来ない。

よって、今日はこれから日本史センター対策を執筆しなければならないらしい。
センターが明日からというのはこの際無視だ。というか、どうせ私の書いたものがセンター対策になるとは思えないし。


何故なら私は世界史専門だからな!
鎖国化してせっかくの軍事力を東アジアの勢力図に何ら反映しなかった世界史ファンにとっては不甲斐無き我が祖国の事など!!!

と、いうわけで、決して多くを、というより何かを期待しないように。

さて、日本史屋JTが昨日筆を擱いたのは、織田信長までであった。

1582 織田信長は本能寺で側近明智光秀によって暗殺される。しかし、明智光秀は中国から「大返し」で駆けつけた羽柴秀吉によって山崎の合戦で討たれる。
ちなみにこの時戦局を左右する戦術的要地となった山が「天王山」であり、どっちつかずの態度を取った筒井順慶軍が篭ったのが「洞ヶ峠」である。
ついでに、小牧長久手→賎ヶ岳の戦いで、家康・信長の遺子信雄、重臣柴田勝家らを一掃し、旧織田信長勢を一手に握ったのである。
さて、秀吉政権は織田・徳川連合が版図とした近畿東海それに中国の東部と北陸西部に信州を加えた地域を掌握し、さらなる拡大を図った。
なにせ、京都と穀倉地帯濃尾平野を抑えた上に、全国に先駆けて編成された常備軍システムを有する旧織田勢力を活用し、拡大路線をひた走る。
結果、小田原攻めで伊達・北条、四国・九州攻めで、長宗我部・島津を下し、1587年ついに戦国の世に幕を下ろして天下を統一する。(惣無事令=全国停戦命令)の発布

秀吉の全国政策は「刀狩(=兵農分離)」、「太閤検地」のふたつが有名である。というか、政略家であっても政治家ではなかったのでこれ以外にさしたる制度作りはやらなかった。
文化面ではこのころ花開いたのが「安土桃山文化
安土城大阪城聚楽第などに代表される豪華絢爛な文化である。
一方で千利休によって茶道が完成され、対照的な侘び寂び文化も発展の途にあった。

(いや、千利休、正直、嫌いですがね。ルソンの壷の話とか。底の浅そうーな人物が)

まぁ、しかし、その栄耀栄華も一瞬、「なにわのことも夢のまた夢」とばかりに露と落ちて露と消えた安土桃山時代の次に来るのが、江戸時代!!


の前に、朝鮮出兵がありましたな。
1592 文禄の役
1596 慶長の役

強大な軍事力が外征を望むのは理の当然。あながち秀吉の虚栄心ばかりをも責められぬこの戦い。つまるところは、ようやく、混迷から抜け出し、古代と同じように東アジア情勢に介入できるようになった日本が中国と衝突すると言う地政学的に見て必然ともいえる出来事。
さきの白村江、のちの日清・日中戦争のごとくに。

で、勝敗は引き分け、と言いたいところだが、朝鮮の宗主権が明に残ったので、ここは中国が既得権を守ったということで明勝利といえるだろう。


さて、秀吉が死に、後継者争いに名乗りを上げたのは、海道一の弓取り、徳川家康と秀吉の遺子秀頼。
秀頼の意を体した石田三成と家康との関が原の戦い(1600)は、家康の廟堂帷幄のうちに、つまりは事前の根回しで勝敗は決してしまったのである。
戦争で力を示し、威嚇した後、それを制度化して勝利の効果を持続させる。マキャベリが口を酸っぱくして唱えたとおりに、家康は1602年、二条城を築城、1604年に征夷大将軍につき、ついに江戸幕府を開くのであった。

で、ぱっぱっと大阪冬の陣(1614)、夏の陣(1615)で豊臣氏滅亡。

ようやく、日本の世界的に見ても特殊な時代「近世・江戸時代」に入っていく。
(近世なんて時代区分日本だけだしね〜)

ああ、ここまでではや疲れた……。
ちょっと手抜いていこう。

徳川将軍は全部で15人。しかし、重要なのは全部で家康秀忠家光綱吉吉宗家茂慶喜の7人。

二代秀忠
・遅参男
・「影武者・徳川家康」の悪役

朱印船貿易
三浦安針、八重洲

三代家光

・生まれながらの将軍。
・参勤交代
鎖国
慶安のお触書
キリスト教弾圧・島原の乱
まったくもってめちゃくちゃ正しい措置である。
カトリックなぞという植民地主義の尖兵、一人残らず殺しつくしたおかげで日本の独立は守られた。
なんか、日本史やってると「わからずやな将軍が愛を説くキリスト教徒を…」とかいう感じだが、実際は貪欲で狡猾な鬼畜米英もとい鬼畜毛唐

を殲滅した祖国防衛である。わからん奴はラス・カサスでも読め。
よくやった家光。

五代綱吉
戦国の遺風を駆逐して、平和な時代を制度化した結構な名政治家だったのだが、精一杯のママへのプレゼント+子宝祈願のお供え物「生類憐みの令」のおかげですっかり評判を落とした。
でも赤穂浪士討ち入りの裁定はさすがと言うべきか。
聖堂を湯島にうつし、昌平坂学問所を付設。(東京大学発祥……ってかなりこじ付けじゃないかと思うんだけど……)

この人の頃興ったのが、元禄文化井原西鶴松尾芭蕉近松門左衛門。大阪中心、町人中心のにぎやかな文化。


6,7代の時が新井白石の「正徳の治」。といってもろくな効果はなく。貿易制限で金銀の輸出を抑えたくらいか。

八代吉宗

暴れん坊将軍
大岡裁き
・公事方お定め書き
・足高の制
・目安箱
なぜか、現代まで生き残ってしまったが、本来はこれ、ご意見募集!じゃなくて、内部告発制度ですぜ。いわゆる密告の奨励。
米相場が崩れて、打ちこわしがはじめておこるなど、結局、こいつ、有能と言えたのか微妙。やる気はあったんだろうけど。なんか空回りした感じが。
これがいわゆる一連の享保の改革。財政緊縮の効果だけはちゃんと出て、収支は黒字化。

次が田沼意次VS松平定信の時代

経済官僚田沼の株仲間や印旛沼開拓などの先進的な改革は、しかし、定信さんによってことごとく潰されたのでした。
寛政の改革
だからそろそろ財政緊縮が商業活動の低迷を招くことに気づけよ。

1790 朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁)。
1792 林子平が「海国兵談」を著し、罰せられる。
   ロシアの使節ラックスマン根室に来る。

田沼の頃あたりから、ロシアがシベリアを越えて進出し、北方での日露の紛争が始まりだします。不登校ならぬ不凍港を求めるロシアとしては、ウラジオストク以南への進出は至上命題。
宿敵トルコ・スウェーデンよりは組しやすしとは見たが、いかんせん補給のおっつかない僻地であり、かつ、幕府側も情勢を把握して衝突回避に動き、全面戦争にはいたらず。

http://www.geocities.jp/napowhis01/rokouver2.html

1798 本居宣長が「古事記伝」を著す。→ナショナリズム的神話観
1802 十返舎一九が「東海道中膝栗毛」初編を著す。→日本の良治安
1808 間宮林蔵樺太を探検する。→外征・国防の基礎、情報収集
1814 伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」を完成する。→同上
1825 幕府が外国船打払い令を出す。→威嚇によって接触そのものを断ち、衝突回避を図る。
1828 シーボルト事件→スパイ事件

ここらあたりからいろんな意味で「日本」が意識され始めるころですな。まさに国際政治の海原に乗りいれようというところです。

ちなみに寛政あたりから元禄文化と対比される「化政文化」が始まります。
与謝蕪村十返舎一九山東京伝。武士向けのちょっと地味な江戸文化。元禄文化が和菓子なら、こっちは酒のつまみやね。

1832 葛飾北斎の「富嶽三十六景
1833 歌川広重の「東海道五十三次

ついに完成した「ホクサイ」「ヒロシゲ」。江戸の平和が育んだ文化の最高峰!

1833 天保の大飢饉
1837 大塩平八郎の乱
1839 蛮社の獄

そして坂を転がり落ちるように暗くなる情勢

そこに登場したのは………

水野忠邦!!



……力不足の見本のような配役だったのが徳川幕府の運の尽き。

1841 天保の改革
株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、倹約令を出してぜいたくをとりしまったが、失敗に終わった。

悪あがきの見本のようなめちゃくちゃ強引で逆効果な政策のオンパレード。で極め付けが

上地令。

駄目だこりゃ、とはおそらく当時の結構な数の人間が思ったに違いなく。

そして、ついに浦賀沖に現れたのが、

マシュー・ペリー提督

で、幕末。

疲れたので、幕末以降は「新撰組!」、「壬生義士伝

→「日露戦争物語」、映画「203高地
→映画「226」映画「軍閥
→映画「トラトラトラ」「加藤隼戦闘隊」

あたりを参照してください。

逃げるな、と?





明日引越しなんです!午前九時に赤帽来るんです!!昼以降にガスも電気も水道も止まるんです!!!

荷造りさせてください……。

センター対策の名を冠したアレ

dokkoihetare2005-01-14

ていうか、俺も暇ではないのである。

どうもこんばんは。すげえのっぴきならない状況に追い込まれ気味なJTです。
フォントを変える余裕なぞこれっぽっちもありゃしません。
それなのに今俺は過去最長になるであろうテーマに挑もうとしております。
なんというか、コレはもう馬鹿とかそういうレヴェルじゃないです。
明日の英会話のテストだけはなんとかせねばならんのです。
つーか普通に考えて、センター日本史対策blogってありえねぇだろ、というか、1週間前に構想練り始めてどうする俺。あと疾風。
しかも書き始めたのは今。今っていうのは13日(木)の18時過ぎ。ええい、いっそこのまま「冒険王ビィト」でも見てしまおうかしら。
そういやさっきプラネテスを見た。感動した。
どうするどうなるタナベ。
あとさっき2月にやる合唱団の合宿の人数変更を合宿先に電話したら機会音声で「15時までで本日の受付は終了しております」と云われた。ええい。
最初の数秒間、機会音声に丁寧語を使って喋ってしまった自分に腹が立つ。

てことで日本史講座である。
俺にセンターの日本史を教えさせるなどと馬鹿以外の何者でもないと思うのだが。センターというよりもアレな日本史になるに決まっておる。まあいいけどさ。つーかセンターの範囲なぞ受験生の時ですら把握しておらなんだわ。いい機会だからダラダラ書いてみた、って程度に受け取ってもらえると嬉しいですハイ。

「とある哲学者はこう言いました。全ての歴史は現代史である、と。
この意味は、21世紀現代の国際紛争などの問題は全て数千年前から続く戦いの延長
であるという意味です。
ですがここで終わってはいけません。歴史の学ぶ意味は極論から言えば

祖国防衛

の一言に尽きます。どこからも攻められない。
どこにも攻めなくても飢えず、豊かで平和な暮らしが約束されれば歴史など学ぶ必要
はないのです。
ですが、現実問題として21世紀現在でも戦争は起きていますし、日本が安全だと
いってもそれはたまたま紛争地帯と距離が離れているだけであって、今この記事を読
んでいる瞬間にも確実に戦死している人間はいるのです
歴史を知っていれば相手が何を考えているか完全ではありませんが、大体わかるよう
になるものです。
例えば「連中は少し前にこんなことやった!だからまたやるかもしれない」といった
ようなことが予想できますね。」(某ページよりコピペ。まあ、そういうことである)

ああ、ちなみに、高校の頃使ってた教科書やテキストは今手元に無いので、本棚を漁って出てきた「新しい歴史教科書」を資料にしてやってきます。
まあ賛否両論あるかもしれないが、何を使おうと結局俺の知識と妄想が大爆発することに変わりは無いのであるからしてさしたる問題はありますまい。
ああ、文化史は正直さっぱりわかんねえので、最小限に留めます。

さて、まずは先史時代。
ま、今更旧石器時代とか新石器時代とかの区別なんてやっても仕方ないので簡単に。
えーとね、まず、縄文土器は世界最古の土器です。今んトコ。ここは譲りませんよ僕は。
あと、弥生時代縄文時代の違いは、弥生時代のほうがとにかくスゲエ、と覚えましょう。センターはそれで充分。
三内丸山遺跡荒神谷遺跡と吉野ヶ里遺跡の区別くらいはつくようにしておきましょう。

で、支那(一発変換できず。携帯では出来たのに。何故)の史書にしか記述のない時代。センターに限るととたんにつまんねぇカンジになるので簡単に。
奴国が金印をもらう。まあ、当時は後漢もいっぱいいっぱいだったので、近隣諸国を手なづけるためにとった非常の策でしょう。多分。そうでもなきゃあんな辺境の地に王の位を授けるはずがないだろうし。多分。王、という位を他人に与えるだけの権力をもってるんだぞ俺は、と主張することによって己の力を水増しして見せた、と。そう考えるのが自然だと思います。特に北方騎馬民族とかに対して。ですがまあ、センターにこんなのは必要ないので切り捨てて行くべし。
で、邪馬台国。ひめみこ様。転じて卑弥呼様。AV女優ではない。だから北九州だって何度言えばわかるんだお前。箸墓古墳?黙れ。あと鬼道すげえ。鬼道。弟が政治を代行してた。弟すげえ。俺としてはこのひめみこが後に天照大神のモチーフになったと信じて疑わないわけですよ。で、この弟はスサノオ。ということはスサノオフチコマの皮をはいで機織小屋に投げ込んで機織のおねえさんを一人ショック死させてしまったのだろうきっと(古事記)。悪い奴だ。弟。皆も弟には気をつけるのだぞ。弟は、怖い。
以上、先史時代。俺にとっては神も天皇も出てこない日本史なぞ全て先史時代である。天孫降臨(地酒の名前ではないぞ)とか神武東征とか燃えるんだけどなあ。
で、以下、「歴史」。

さて、日本史を語る上で避けては通れないモノは色々あるが、まず始めに挙げるべきは天皇。次いで、仏教が挙げられる。
まあ、この二つのキーワードを中心に据えて考えられるべきものということである。
簡単に云えば、人々の信仰だの崇拝だのの対象が天皇(≒神道)であるか仏教であるか、ということで時代の区分をすればわかりよいのである。

つまり、大きな分岐点は以下の3つ。
1、大化改新
2、建武新政
3、明治維新
いずれも日本国が対外的な危機にさらされて、天皇が実権を回復した事件である。

日本国建国の話はセンターの範囲には含まれていないので省くことにして、初代天皇(これも神武ではなく、崇神(伝・10代目)くらいとする)あたりからのことを考えていくことにする。
まあ、最初は当然天皇が長であり崇拝の対象である。帝政といってもいいかもしれん。まあ、一部の暴君(武烈とかの日本書紀にも暴君と明言されている天皇達。まあ、どんな国にもネロは存在しうるのである)時代を除けば上手くいっていたようなので、ある意味最高の状態であったということだな。いわゆる「いい帝政」である。
仁徳帝(伝・15代目)あたりはかなりの善政を敷いたようで、謚にその業績の凄さがよく語られている。大山(大仙)古墳はこの方の墓。底辺部の直径はピラミッド(クフ王)や始皇帝墳墓よりもでけえらしい。すげえ。
倭の5王。5世紀。5人目の武は雄略(伝・19代目)。ワカタケル。それ以上は覚えなくてもよろしい。

あと、非常に遺憾ながら頭に入れざるを得ないのが、あの半島である。3韓時代を経て、4国鼎立(?)時代となっていた。まあ、世の中に誕生した鼎立の中に崩れなかったものはないのであって、当然これも例外ではない。まず高句麗が隋の楽浪郡を一蹴。新羅任那を一蹴。任那日本府なるものを置いていた日本ブチ切れ。以下略。まあ

好太王碑文でも読んでおけ。

渡来人が5世紀ごろやってきたことは是非抑えておきたい。特に秦氏。1万人以上の大氏族。特に須恵器の持ち込み。土師器との区別を。あと儒教だの漢字文化の侵略であるな。鉄の輸入が大規模化したのもこのへん。武器とか農具とかの作り方が入ってきたからね。白村江で半島の権益を完全に失った日本は、武蔵国で鉄が出(日本書紀)なければ完全に立ち消えであったろう。多分。

あー、あと、氏姓制度。適当にぐぐれ。
要するに天皇から賜ったのが姓。

仏教伝来。聖明王。えらく偉い王だったようで、日本書紀はえらくだらだらとその凄さが書かれてます。時々でいいから思い出してあげてください。
ていうか俺の日本書紀が見当たらない。城きつね君に貸しているのだったか?多分そうだ、多分。まあ、ゆっくり読んでください。だから早くローマ人の物語を。ハリー!ハリーハリー!(私信)

百済はいいぞ、百済は。日本人とは血筋的に兄弟だしな。新羅はまったくの別モノ。高句麗はギリで血族。ちなみに確か今の半島王朝は新羅系。
とっとと絶えてしまえ。

聖徳太子。この人については小学生並の知識で充分センター乗り切れると思いますので、受験生諸君は今更じたばたせずに素直にギャグ漫画日和でも読んでおきましょう。日本史上初めて支那国家にケンカ売った人です。外交も内政も出来ちゃうスーパー皇族。
17条憲法は覚えておこう。
ちなみにこの17という数字はこの後神格化される。例えば、後に出てくる御成敗式目は51条、すなわち17の倍数である。まあ、最初になにごとかを為す、ってのはすごいことなんです。曹操もそう云ってます。って蒼天航路に書いてありました。
唯才。
冠位12階もそんな感じです。貴賎は問いません、と。いやまあ流石に曹操と同じように罪人まで登用してたかどうかは知りませんけど。
このあたりから仏教の力が増してきます。
あと、隋がたったの2代で滅びます。唐が出てきます。支那統一後の王朝としては2番目に長持ちします。ちなみに1位は清です。腐っても清。ホントに腐ってましたが。はッ(唾棄)。
大化の改新。前書いたので省略。
ていうか改新の詔が出たのは646年の1月1日です。645年じゃねえので気をつけろ。私年号を除けば初の日本国の年号となる「大化」を立て、天皇を中心とした近代国家として日本は生まれ変わったのである。

まあ、蘇我氏に任せておけばもっとうまくいってたことうけあいだが。
20そこそこの餓鬼(中大兄皇子)なんぞにどうこうできるほど甘い状況じゃあない、ということを日本国(そういえばこの段階ではまだ倭だが)はこの後20年もたたないうちに思い知ることになる。

で、このとき、日本は百済からその王子・余豊ショウ(漢字が出ない。ちなみに百済王家の姓は「余」または「扶余」。扶余ってのはすっげえ昔に半島に居た、日本人や百済人、ひいては高句麗人の祖先の民族の名称。新羅?何それ?)を同盟の人質として預かっていた。
そんな中、660年、百済がいきなり新羅・唐連合軍に首都を落とされ、国王以下王族全員が唐へと送られる。
重臣の鬼室福信が日本に使いを送り、豊ショウをたてて再起をはかりたい、というので了承。中大兄皇子は反対する家臣たちをおさえ、その頼みを了承。半島の争いに首を突っ込むことになった。まあ、百済がとられれば、半島は新羅・唐による日本侵略の橋頭堡になってしまうことうけあいであったわけであるからして、ある意味では正しかったのだろう。
蘇我入鹿が生きていればそんな事態になる前に手を打っていたのだろうがな。

で、豊ショウ。福信と合流。名に聞こえた豪将と、正統な血筋によってたてられた政治的な意味での国王(亡国だけど)。兵達のやる気倍率ドン。さらに倍。

どんどんセンターの内容からずれていっている気もするが気にしない。
んなこた書く前からわかっていたことである。

が、実はこの豊ショウ、底抜けのバカであった。
日本にいた頃にやったこととして日本書紀に記録されているのは、養蜂をやろうとして失敗した、ということだけである。マジで。
半島に帰ってからも、なんだかんだと言って無理矢理本拠地を変更。日本から彼を連れてきた秦田久津は自分の意見を無下に却下され腹を立てるも、そこは日本人(っても渡来人だが)の美徳でもって耐える。頑張れ秦。
そして、決定打。福信を粛清。理由は不明。軍にとっての精神的支柱2つのうち1つが、内側からの圧力で消されたのである。そして残ったもう1つがこのバカである。兵達の不安いかばかりか。
さらにさらに。日本からの援軍が来たので、という理由で、港まで迎えに行くと言い出す。いや、平時ならそれもいい。だが、本拠地に敵が迫っているとなれば話は別である。いっちゃん偉い将軍がいなくなってるのに最高司令官が同盟軍のお出迎えである。有事の真っ只中で。
そして、時は663年、世に言う白村江の戦いが起きる。阿曇比羅夫(阿部比羅夫とは別人。阿部はこのとき蝦夷征伐で忙しかった)ら率いる日本軍はお粗末な戦術でもって見事に敗北。船の燃える炎で天と海は真っ赤に焼けたという。ここに百済は滅亡。
この戦争において様子を見ていた高句麗もわずか7年後の670年に唐によって滅亡。
でも日本はその頃古代最大の内乱、壬申の乱(672)でおおわらわ。明治維新で云えば戊辰戦争西南戦争くらいの意味をもつ戦である。すなわち、「今外国の勢力が来たらすっげえやばいけど内ゲバ。やらねばならんのです。男という生き物は意地と我慢で出来てるんです」的戦争。こういうことは歴史全体として結構起こっていることだが、対外勢力が間抜けなせいか、意外になんとかなることが多い。天智の弟(天武帝)と天智の子(弘文。即位はしていないが、明治になってから天皇と認められた)が骨肉の争いを繰り広げる。ちなみに天武のヨメ(持統)は天智の娘。すなわち天武は姪と結婚したのである。すげえよ古代。古代すげえよ。

で、このへんから律令国家建設がはじまる。さらなる近代化。まず大王(おおきみ)と呼ばれていた君主の称号を「天皇」に変更。明らかに支那の皇帝に対抗するものである。王から帝へ。李氏朝鮮が1897年に大韓帝国と改称したのと似たようなものである。また、「日本」という国号を確立。どちらも正確な時期は不明。同時期に出され、内容が明らかになっていない近江令が関係していると考えるのは俺だけではあるまい。まあ、妄想だが。

で、701年、大宝律令
710年、平城京。84年に渡る悪夢のような奈良時代開始。
藤原氏大活躍。めんどいので中略。あと東洋のラスプーチンこと道鏡。名字は弓削(ゆげ)。物部氏に関係がありそうな感じ。だからどうということもないが。

奈良の頃の文化。天平
日本語(かな)確立。古事記日本書紀成立。風土記作成命令。まあ、地理的・文化的な情報を国家が管理しようなどと考えるのは当時の人にとってはまさに青天の霹靂だったようで、10世紀になっても「早よ提出せぇ」という催促がされたという記録が残ってはいる。万葉集成立。あとあれだ、大仏。開眼供養はインド人僧侶。あと、西アジアのほうとも交流が大分あったらしい。キリスト教とかゾロアスター教とかがこの時代に伝来している可能性も零ではない、ということである。東ローマ帝国が大繁盛しておる時期だし。そういえば17条憲法もなんとなくキリスト教くさい。そう考えると妄想の地平はどこまでも続く坂道となるのである。深遠なるかな。俺。

平安。泣くようぐいす
律令制が大繁盛。平安京。今でも正式には首都。東京には首都権を貸しているだけです。いや、マジで。ウソだと思ったら「奠都」でぐぐれ。
坂上田村麻呂。奥さん思い。アテルイ率いる蝦夷を撃破。東北制覇。
摂関政治。班田収受。荘園。遣唐使廃止。武士。院政。源平。
あと唐滅亡。
源平時代の流れは大体以下のとおり。
935〜941、承平・天慶の乱。すなわち平将門の乱藤原純友の乱
前者は日本国から関東を独立させ、将門が帝となろうとした乱。
後者は瀬戸内海の海賊を掌握した地方官の純友が、将門と呼応して大和朝廷にケンカ売った乱。こいつは半島や大陸にも目を向けていたらしい。コイツが朝廷の高官になっていたら歴史はまた一味変わったものになっていたかもしれない。
1028〜1031、平忠常の乱。
1051〜62、1083〜87、前九年・後三年の乱。どこからどこまでが9年で3年なのかイマイチわかりかねる乱。この乱の結果、奥州藤原氏始まる。清原氏が滅びる。源氏が頑張る。
1156、保元の乱天皇家vs摂関家。源平も相争った。
1159、平治の乱保元の乱勝利者の一人である源義朝(頼朝のダディ)が同じく勝利者平清盛を打倒せんと立ち上がるも一日にして敗北。
1177、鹿が谷の陰謀。平家打倒を謀議するもあっさり発覚。
1180、以仁王の乱。平家追討の令旨を全国の源氏に発する。挙兵自体は秒殺される。
その後、1185年の壇ノ浦まではドラマを見よう。奥州・鎌倉・京で三国志である。源義仲が闖入してきて京を奪い取ったりするがまあ一時のことである。気にするな。
どうでもいいが、俺は平氏擁護派である。よって、今後の大河ドラマレビューはその方向で進んでいくこと請け合いである。あしからず。つーか義経があまり好きではないのである。いや、滝沢某がどうとかいう問題ではなく。
受験生諸君は後白河法皇について適当にぐぐっておくと良い。後白河天皇であったころあたりから。それだけで平安後期はばっちりです。「日本一の大天狗(源頼朝談)」である。つーか活躍しすぎ。
で、1192年。鎌倉幕府成立。このあたりでもう既に天皇の権力はどこへやらである。
守護。地頭。封建制。執権政治。御成敗式目承久の乱宝治合戦霜月騒動
そして、蒙古襲来。

何も使者を斬ることないんじゃないかなあと思いますぜ、時宗さん。
竹崎季長なんて覚えさせてるセンター試験は正直バカだと思います。
で、徳政令。意味なし。

この頃、両統迭立の動きが始まる。南北朝時代の予感。
後醍醐天皇により鎌倉幕府打倒運動開始。正中の変。元弘の変。楠木正成挙兵。いずれも失敗。天皇隠岐に配流。
鎌倉幕府光厳天皇をたてる。この時点で後醍醐天皇天皇の位を辞してはいない。
そして隠岐からの大脱出。足利尊氏新田義貞ら挙兵。最後の執権北条高時自決。息子の時行は逃亡。時に1333年、日本初の武家政権鎌倉幕府滅亡。

で、翌1334年。権力を回復した後醍醐天皇が始めたのが、前述の2度目の天皇権力回復イベント、建武中興である。
1335年、時行による中先代の乱が起きる。同年、足利尊氏叛乱。
1336年、尊氏、光明天皇を擁立。60年近くにわたり天皇が二人ずつありつづけるという日本史上最も特異なる時代、南北朝開始。
北畠親房がこの時代に神皇正統記を書いた。ちなみに俺んちにあるので読みたい奴は云え。
1351年、観応の擾乱。史上最大の兄弟喧嘩だ。兄の勝ち。兄より優れた弟など存在しねぇとジャギ様も云っておる。
1392年、南北朝合一。
応永の乱。大内さん死亡。
嘉吉の乱。赤松こえー。
応仁の乱。ザ・戦。京都が大変なことに。さあ、戦国時代の幕開けだ。

戦国時代はいろいろありすぎてウザいので省略。
各国の法度でも覚えておくといいですっていうかまあもう覚えてるとは思うが。
結局のところ要するに、
はスゲえ、ってことでFA。

今日はこのへんで。ちと疲れた。